色のお話:グリーン2
オーストラリアって特殊な大陸なのは知っていますよね。子供をポッケで育てる便利なポケットを持っているカンガルーや、やけにのんびりしてほとんど寝ているコアラ君たち、自然の色も土地柄の色があります。もちろん他から持ってこられたものもたくさんあるのですが、それでも土の色や木の色、緑、空気、空や海、やっぱりオーストラリアらしい色です。オーストラリアンカラーは、マティスの絵具にたくさん作られているのですが、私は日本人好みする色だと思っています。なぜでしょう?
グリーングレー
グリーン・グレー(アンティーク)は柔らかなグレーで、伝統的なデービスグレーに似た色です。ただ、デービスグレーが持っていたザラザラ感や弱さを取り去った色です。中間色は、自然界でとても良くある色で、アーティストは常にこれらの色を使っています。これの混色は明るめの色から作ることができますが、150年もの間とても人気のある色、グリーン・グレーやペインズ・グレーなどの色をチューブで持っていることはとても便利なのです。ヘンリー・デービーは、イギリスの南部のロマンチックな遺跡、石造りの建物の水彩やエッチングの作品を作り、アートを教えていたアーティストです。この建築物への興味が彼の顔料への興味をもたらせて、スレートを粉砕したものにイエロー・オーカーとブラックを混ぜて、グリーンがかった石の遺跡の色を作り出しました。この色自体は、風景画のアーティストの間でも人気のものと証明されておりますが、少数派は、この色のザラザラ感を好みます。近代では、ロマンチックな遺跡を書くことはあまりありませんが、グリーン寄りのーは風景画でとても役に立つ色です。
グリーン・グレー(アンティーク)はモダンな混合で、その昔に使われていた色の短所は持ち合わせておらず、アーティストの好む少しのグリーン寄りのグレーを持ち合わせています。これはフタロ・グリーンにホワイトとブラックを混ぜた、とても保存性に高い色です。グレーとして風景画に使うことも、または、その他の色を作るベースとしても使えます。オーストラリアン・ゴースト・ガムと混ぜて、またはアンブリーチ・チタンと混ぜてとてもソフトで優しいグレーが作れます。アッシュ・ピンクと混ぜることで温かみのあるグレーを、オーストラリアン・スカイ・ブルーと混ぜて寒色系のブルー・グレーが作れます。
この色で作る混色は、柔らかく抑え気味の色になります。ディオキサジン・パープルと混ぜることで、とても柔らかいバイオレットを、ウルトラマリン・ブルーと混ぜて目にも優しく気持ちの良いグレー・ブルーを作ります。オーストラリアの低木地帯では、グレーっぽいグリーンの色をよく見ます。これらはとても柔らかな緑です。クロミウム・グリーン・オキサイドと混ぜた色でこれらの緑を描き始め、とても柔らかく温かみのあるオリーブ・グリーンをオーストラリアン・イエロー・グリーンと混ぜて作ります。ヘンリー・デービーはきっと今日の絵画の中で昔の遺跡のものが少ないことに失望するかもしれませんが、このグリーン・グレーが、初めに彼が作った日からずっと重要な色として、未だに使われていることを嬉しく思うことでしょう。
クロミウム・グリーン・オキサイド
クロミウム・グリーン・オキサイドは、暖系の緑色で多くのアーティストから好かれている色です。耐光性の高い顔料の中でも上から2、3位の顔料になります。この色はフランスの色といってもいいかもしれません。クロミウムと言う成分は、ルイ=ニコラ・ヴォーグランというフランスの化学者によって1797年に発見され、これが1807年に彼を代表する色、クロミウム・グリーン・オキサイドへと発展しました。しかし、1838年にパリの色メーカーのパンティアという人が、実用的な製造方法を開発したのですが、彼はその方法を秘密にしていました。1859年に他のフランスの化学者、ギネーがクロミウム・グリーン・オキサイドと化学的に同じヴィリジアンの作り方の特許を取りました。違いは水和させる行程が一つ多いことで、そのためクロミウムの酸化物に二つの水の分子が付いているものになります。このため、色が不透明な黄色がかった緑から、暗く透明なブルー・グリーンになりました。ヴィリジアンはとても美しい色でその従兄弟のクロミウム・グリーン・オキサイドの影を薄くしてしまいました。昨今ではフタロ・グリーンがオリジナルのヴィリジアン顔料に取って代わっていますが、この古いグリーン、クロミウム・オキサイドは消えることなくそのままの人気が続いています。その為、この色は静かに成功を成し遂げた色と言えます。パンティアのグリーン・アースが、ロー・アンバーやイエロー・オキサイドと混ぜて素朴な緑を作れることで、アーティストにとって初めてのくすんだ素朴な色の選択肢となりました。ヴィリジアンが明るくフレッシュな色を作って注目を集めている間も、クロミウム・グリーン・オキサイドは地道にその重要性と役割を今日まで存続し続けてきました。
この色はアーティストにとってのみ価値を認められた色ではありません。第二次世界大戦の間、カモフラージュタンクやその他の軍隊の機材を特定するために、インフラ・レッド・フォトグラフィーが使われました。このころオリーブ・グリーンを使ったカモフラージュは、視覚的に隠す効果が高かったのですが、インフラレッド・フィルムがそのカモフラージュのペイントと、自然のグリーンの違いをはっきり映し出したのです。そして、顔料の実験が行われ、クロミウム・グリーン・オキサイドは、インフラレッド・フィルムでもそのイメージを映し出し、自然の群葉にとても似ており、クロミウム・グリーン・オキサイドを使ったカモフラージュはその他の顔料よりも見分けがつきにくいことがわかりました。そして、軍隊でこの色は重要な色となり、今日では、軍隊のために いろいろな色が特別に作られ、カモフラージュ・グリーンと呼ばれるようになりました。
アーティストがクロミウム・グリーン・オキサイドを使うのは、その不透明度が他の色や下書きをカバーする力のある中間のグリーンだからです。クロミウム・グリーン・オキサイドは、いろいろなグリーンを作るのにとても最適です。ロー・アンバーやイエロー・オキサイドと混ぜてくすんだグリーンを作るだけではなく、明るめのグリーンをフタロ・グリーンと混ぜることで、または美しいターコイズのダーク・グリーンがプライマリー・ブルーを混ぜる事で、そして、オーストラリアン・ブルー・ガムと混ぜてゴムの木の葉の色などが作れます。イソ・イエローと混ぜて暖かいオリーブ色、あるいはプライマリー・イエローと混ぜて芝のようなグリーン、さらにナポリ・イエロー・ライトと混ぜて柔らかい明るめのグリーンが作れます。クロミウム・グリーン・オキサイドは170年前にパリで新色とされていた頃から、今日までずっととても重要な色です。
オーストラリアン・サップグリーン
サップ・グリーンという名称が使われなくなってきた理由の一つに、サップとは木が元気に成長して新しい葉をつけていくことを象徴するからかもしれません。17世紀の記録に残っているこの名前は、油彩によく使われていたからですが、この色は何百年も前からイラスト本に使われています。その例に中世の色が付いた写本の中に、本であった事から保存された状態でこの色が残っています。絵の具が光に当たると、とても不安定であることがわかっています。チェンニーノ・チェンニーニが、15世紀ぐらいに書いた緑の作り方には、プラムは、サフランより劣っていると言っています。ここで言われているプラムとは、クロウメモドキのベリーのことで、ペルシャ・ベリーとして知られています。そしてこれが、スティル・デ・グレイン・イエローやサップ・グリーンの元になっている原料です。ルネッサンスのアーティストたちは、少ない色を使う事が美徳とされていたのですが、17世紀のアーティストたちは、たくさんの色を求め、そして絵の具屋はこれまでの不安定な色を新しく開発して提供していきました。
明るい黄色味がかったグリーンは、昔の巨匠の時代には問題が多い色でした。銅レジネートが存在していたのですが、不安定であるということと、重要な色、ウルトラマリン・ブルーやヴァミリオンなどと混ぜると、化学反応で茶色くなってしまうということで、混色ができませんでした。暖かい黄色を混ぜたサップ・グリーンは混色ができたのですが、残念ながら不安定な色でした。これらは、北半球に生息するクロウメモドキのベリーで作られていました。このベリーにはいろいろな種類があり、あるものは薬用として使われており、色を作る種類は4種類ほどでした。どの種類のベリーか、または実が熟しているかどうかによって、出来上がる色が赤から黄色、さらに緑になってしまいました。黄色と緑のみがアーティストに使われた色でした。近年では元々使われていた顔料が近代の新しいものに変わりましたが、本来のサップ・グリーンの色は、今でも中国の伝統的な絵画で使われています。そのためこの色の名前は、チャイニーズ・グリーンと呼ばれるようになりました。
オーストラリアン・サップ・グリーンは、マティス・エメラルドとイエロー・ライト・ハンサ、イエロー・ディープ、そしてレッド・オキサイドを注意深く混ぜ合わせて作られた、クロウメモドキのベリーで作られていた、新芽を表すサップ・ブリーンの色を再現したものです。ただ、この再現されたサップ・グリーンは保存性の非常に高い顔料を使っています。先人たちが色の美しさのために使った色のように、さらに素晴らしいグリーンの混色を作ることができます。カドミウム・イエロー・ライトと混ぜて明るいきれいな芝のようなグリーンを作り出したり、もっとオリーブのようなグリーンを、アンブリーチ・チタンと混ぜて作ったり、さらにはイエロー・ディープと混ぜる色は風景画を描くのにとても役に立つ混色になります。トランスパレント・イエロー・オキサイドと混ぜると、美しいフッカーズ・グリーンのような色を作り出し、トランスパレント・レッド・オキサイドに変えることで、暗めの色を作れます。そしてオーストラリアン・ブルー・ガムと混ぜると、少し寒色系のオリーブ・グリーンができます。これらは、喜ばしい色の組み合わせですが、オーストラリアン・サップ・グリーンの本当の美しさは、パーマネント・グリーン・ライトやコバルト・ティールと混ぜたときに現れます。クロウメモドキのベリーは、歴史の中で色あせてしまいましたが、この色は引き続きアーティストたちに美しいグリーンを作り続けます。
オーストラリアン・イエロー・グリーン
イエロー・グリーンは、古典派の巨匠時代には解釈しがたい名前が付いていました。それは、グリーン・ピンクやピンク・バイスというものでした。「ピンク」は、黄色の色を作っていた原料のクロウメモドキ科のベリー類が、スティルドグラン、またはピンク・イエローと呼ばれていたことから引用されています。なぜこのように呼ばれていたのかはわかっていません。色の名前「ピンク」は、ヨーロッパの野草のピンクという名前に由来されています。この花は、明るいピンクか白色をしており、現在の色名の理解と一致しています。どうしてイエローがピンクと呼ばれたのかは、かなり奇妙なことですが、クロウメモドキが赤色を作るのにも使われていた可能性があり、のちに黄色にも使われ、同じ原料から作られた黄色ということで、この名前が付け加えられた可能性があります。
さらに、クロウメモドキは、緑を作る際にも使われた可能性があり、それはサップ・グリーンと呼ばれました。サップ・グリーンとイエローの間の
イエロー・グリーンを作るのに、黄色にブルー・バイスが混ぜられた結果、18世紀にピンク・バイスという名前が使われました。バイスという名前も少々分かりづらいのですが、バイス自体は、暗い青色の総称として使われており、アジェライト(藍銅鉱)に参照することができます。これは、黄色にインディゴを混ぜた、人気があって暗いバージョンのフッカーズ・グリーンが開発された証明でもあります。これらすべてのクロウメモドキから作られた色の色名は、とても変わりやすいと言えます。この原料は、ASTMテスト(米国材料・試験協会の耐光性テスト)が行われていませんが、ASTM IV(耐光性が非常に低い)と予測されます。この初期の顔料や、イエローをピンクと呼ぶ奇妙な呼び方は、とっくに無くなりましたが、この色味の必要性は今まで以上に重要になっています。
イエロー・グリーンには、二つのとても重要な仕事があります。まず、他のグリーンを明るくする役割です。グリーンは、赤のように明るくするために白を混ぜると、その色のキャラクターが変わってしまいます。白の代わりに明るめのグリーンを混ぜることで、グリーンの色の深みやキャラクターを変えずに明るくすることができます。次に、オーストラリアン・イエロー・グリーンで、混色の緑を作ることです。オーストラリアン・ゴースト・ガムに、オーストラリアン・イエロー・グリーンを混ぜると、黄色のアンダートーンの色ができます。結果イエロー・グリーンより、イエロー・オキサイドの混色に近くなります。寒色よりの明るいグリーンを作るには、オーストラリアン・スカイ・ブルーと混ぜます。とても濃厚な暗めのグリーンを作る場合は、サザンオーシャン・ブルーを混ぜて、オリーブ色を作るには、コバルト・ブルーを、とても明るいパーマネント・グリーンを作るには、コバルト・ティールを混ぜると作ることができます。オーストラリアン・イエロー・グリーンは、中世時代の色の後任に値します。
マティス・エメラルド
この素晴らしいグリーンは、品質が良いだけではなく、耐久性にも優れた無害の色です。由来はエメラルド顔料ですが、美しい色を持つ元来のエメラルド顔料は、非常に有害で殺虫剤に使われていたほどです。何世紀もの間、明るいグリーンの顔料は、銅の化合物の孔雀石や緑青(銅のサビ)、銅レジネート(銅の樹脂酸塩)で作られていました。これらはすべて問題のある顔料でした。孔雀石は明るさに欠けており、緑青や銅レジネートは、特にウルトラマリン・ブルーやヴァーミリオンに近づくと茶色に変色しがちでした。そしてこれらは有害でもあったのです。1775年に、スウェーデン・グリーンとしても知られる、シェーレ・グリーンが開発されこれまでのグリーンに取って代わりました。この顔料は、ウルトラマリン・ブルーとヴァーミリオンに対して、敏感であることは変わりませんでしたが、以前の顔料より耐久性はありました。これは銅とヒ素によって作られており、その時はどれだけ危ないものであるかがわからなかったため、織物や壁紙のデザインなどの色に幅広く使われました。なぜならこの新しい明るいグリーンは、流行りの色になっていたからです。
そして、スウェーデン・グリーンの壁紙の張られた子供部屋などで、子供達が不可解な病気になったり、流行りの明るいグリーンのドレスを着た女性が病気になったりと何十年も続いたのです。ナポレオンの死因はガンであると思われていたのですが、最近のテストで髪のサンプルに非常に危険な含有量のヒ素が発見されたとしています。このため、セント・ヘレナの彼の部屋、明るいグリーであったと記録されている壁紙の張られた部屋のせいではないかと推測されています。1814年にシェーレ・グリーンを改良する試みで、エメラルド・グリーンが開発されました。この新しく改良された顔料の、新しい手順でもヒ素は使われており、酸が加えられたことによってアセト亜ヒ酸銅(II)が作られました。これはシェーレ・グリーンと同じ毒性を持っていることを証明し、ウルトラマリン・ブルーとヴァーミリオンに対して敏感であることも変わらず、もちろん毒性も高かったのですが、耐久性は良くなり、エメラルドの石に似た輝かしい色でした。
この色は1859年にビリディアンが開発され取って代わる迄、主力の緑でした。ゴッホがビリディアンをたまに使っていたことは知られていますが、彼が好んだ色は昔のエメラルド・グリーンでした。これは彼の最後の年の精神的な病気が、悪化していった事に関わっていたと懸念されます。彼が精神病院にいた際に、絵の具をチューブから食べていたのを発見されたため、絵の具画材の使用をしばらく止められたとされています。どの色を食べていたのかは記録されていませんが、エメラルド・グリーンではないでしょう。なぜなら、この色を食べていたとしたら、その場で死亡している可能性が大きいからです。エメラルド・グリーンは、セザンヌやモネもお気に入りの色でした。ゴッホの精神面の問題や、モネの目が見えない状態になったことの一因が、この色の影響であると推測されています。エメラルド・グリーンは、パリス・グリーンとも呼ばれ、20世紀中頃に禁止されるまでよくある殺虫剤でした。パリのドブネズミを殺すために使われたり、イタリアで第二次世界大戦中にマラリアを制御するために、そして20世紀初めには、果物の木のアブラムシを排除したりするのに使われていました。
エメラルド・グリーンは、危険であるにもかかわらず、アーティストにとても好かれる色でした。なぜなら、とても美しい深い緑で、ビリディアンより黄色寄りの色は扱いやすい顔料だったからです。マティス・エメラルドは同じような黄色味を帯びた深いグリーンで、ゴッホやセザンヌ、モネが愛したエメラルド・グリーンの色です。この色は黄色寄りのフタロシアニン・グリーンから作られており、昔の名前から想像される危険性の全くない、安全な顔料で、耐久性は昔の色よりかなり優れています。この色は全ての色と混ぜることが可能で、多種多様な用途に完璧に使える顔料です。ロマン派を慕う人たちが、昔の巨匠の使った色を使いたかったとしても、私たちは幸運なことに現代のより良い同等の色が使えるのです。
マティス・エメラルドは、黄色よりのフタロシアニン・グリーンから作られています。フタロ・ブルーが作られる時に塩素を存在させることで、グリーンの顔料が作られました。そして臭化物を混ぜることでこの素晴らしい黄色寄りのグリーンが出来ます。この黄色寄りの色は、混色でアーティストが最も必要とする緑を作ることができます。この黄色寄りのフタロシアニンは、ブルーのように混ぜた色を支配するような強さがないため、混色がしやすい利点があります。
この顔料の美しさは、混色によって様々な美しい色を作り出すことで、明らかにされます。明るいパステル・グリーンを作るには、ナポリ・イエロー・ライトを混ぜて、アップル・グリーンのような20世紀中頃に人気のあった、インテリアの色が作れます。オーストラリアン・ブルー・ガムやアッシュ・ピンクと混ぜることでこのパステル・カラーのバリエーションも作れます。明るい芝のグリーンはイエロー・ディープを混ぜて、オリーブ・グリーンはカドミウム・オレンジを混ぜて作ることで出来ます。濃厚な森林の緑は、トランスパレント・イエロー・オキサイドと混ぜることで美しいグリーンのアンダー・トーンを持つ色が作れます。コバルト・ティールとマティス・エメラルドを混ぜたターコイズ・グリーンは、宝石のような色で、このコンビネーションを忘れてはなりません。マティス・エメラルドは、色の宝石箱です。美しい色を作ってもらうことを待っています。
パーマネント・グリーンライト
パーマネント・グリーン・ライトは、20世紀の商品なのであまり長い歴史はありません。これらの色は19世紀以前では不可能な色でした。そして印象派に続いてパステルやカラーペンシルのセットの色が急増するまでは、アーティストの絵の具としては存在していませんでした。デガによるパステルの絵は、モダンな興味と専門家用のアーティスト画材として注目を浴びるきっかけになりました。パステルは、デガ以前までは限られた使用のみに使われていました。何故なら色に制限があったからです。19世紀以前の多くの明るい色は、毒性が非常に高く乾燥したパウダーの状態では使えませんでした。デガのパステル画への魅力が、部分的なきっかけとなって、毒性の無い新しい有機顔料の入手をその頃可能にしました。彼のこの画材の使用で、これらの色の認識が高まり、パステルは幅広く使われるようになりました。アーティストにとって、新しい色を使うことは、それらの色を絵の具でも使いたいと思うようになり、製造会社はこれらの色をブレンドして、色々な品質レベルの新しい顔料を作らなければなりませんでした。パーマネント・グリーンという名前は、簡単にビリジアンをベースに混ぜられた新しい色に当てはめられた名前で、しかし長く持たないタール色素を表す名称もパーマネント・グリーン(PG2)でもありますが、保存性がないのにもかかわらずパーマネント(保存性がある)という名前がつきました。
1930年代には、この名前はプタロ・グリーンという名前になりました。これはアーティストたちへのマーケティングのため、この色の品質をビリジアンに関連づける目的でした。後に、フタロ・グリーンとイエロー・ライト・ハンサを混ぜた色をパーマネント・グリーン・ライトと呼ぶようになり、アーティストたちの人気も高まったのでした。これはとても明るいライム・グリーンで、人間界にある車や家のペンキ、洋服や陶器、そしてプラスチックなどによく見られる色です。
アース・カラーのオリーブ・グリーンをパーマネント・グリーン・ライトで作ることもできますが、色味の強い人間が作ったものの色にもよく見られる色です。これらの色は通常他の色で作るのが難しい色です。ソフトパステルのようなグリーンは、オーストラリアン・ゴースト・ガムと混ぜて、グリーン・アップルより少し明るい色は、ナポリ・イエローライト、ニッケル・チタンまたはカドミウム・イエロー・ライトと混ぜることで作れます。
オーストラリアン・シェンナとバーント・シェンナは両方ともオリーブ・グリーンを作るのに最適です。ローアンバート混ぜて暗めのフッカーズ・グリーンに似た色を作ることもできます。または、すでにフッカーズ・グリーンのチューブを持っている場合は、パーマネント・グリーン・ライトとの混色で、ブランズウィック・グリーンを作ることができます。シドニーのタウンホール駅に、この色のようなヘリテージ・グリーン色の鉄で作られた駅部分があります。プルシャン・ブルーをパーマネント・グリーン・ライトと混ぜることでも深いフッカーズ・グリーンを作ることができます。サザンオーシャン・ブルーと混ぜると反対に喜びを与えるようなターコイズ・グリーンを作り出します。パーマネント・グリーン・ライトはとてもユニークな色で混色でもそのユニークさを発揮します。
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